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2008年 07月 22日

Distagon T *2.8/25 ZF

ISO200 400分の1秒 F11 AutoWB  
100608 09:02
CaptureNX

962×640pix
b0148016_23562728.jpg


D3は時にもう少し繊細な表現が欲しいと思う時もあるのだが、
こういうものをこう表現する時にはかなりの満足感がある。
重さと厚みのある緑の葉。

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# by kobosss | 2008-07-22 00:01 | Comments(2)
2008年 07月 21日

NewYork 20:00 060908 Fujisawa 09:00 061008

溜めてしまっていたものを少しずつ上げていきます。

NYの写真は八枚程送られて来ていますが、今回はFujisawaで三枚選び、二枚ずつの組にしています。選択基準は視点の重なっているものは避けておく、という事だけで、後は撮影の順番で組み合わせました。

例によって、上がNY(Canon PowerShot SD550 )
        下がFujisawa藤沢市(Nikon D3)です。

b0148016_12431913.jpg
b0148016_12433385.jpg
b0148016_12434516.jpg


この撮影からもう一ヶ月以上経ってしまいました。

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# by kobosss | 2008-07-21 12:47 | ほぼ同時写真 | Comments(0)
2008年 07月 21日

動機=モチーフ について

以前上げていたHPでの書き込み

「なにに向かっているのだろう」
1982
紙に鉛筆

「鳥を描こう」というとりきめだけから始める。
どんな鳥とか、
そのような事は一切考えないで、
いつの間にか鳥が現れている。

大分この様式に手が慣れてきている。
私にとって存在感には手触りが必要なようだ。
いいかえればそれはノイズと言ってもよいもので、
素材としての紙はノイズのカオスのようなものか。

鳥達がしばしば夢の中で出てきたとしても、
彼らが飛んでいた記憶が無い。
私自身が飛んでいる事があっても、
その飛行は非常に不安定で、
今にも墜落しそうだったのを思い出す。 
いずれにしても、
そのような、
現象を出発点として
描き始める事にしたのだった。

夢の中の捉えどころの無い感じに比較して、
素描するという行為は
紙と鉛筆という物質に支えられて
比較的確かなものになっていくように期待される。
それは
自分に引き寄せるようにして描くという事なのだが、
それをどのように判断しているかというと、
結局、
脳の中での出来事としてしか
言えないようなところがあって困ってしまう。

以上文章 2000年頃記述

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近年の写生による試みは上の鳥の素描とまったく異なった素描空間を相手にしていて、実際にものを観察して描いても「絵になった感じ、確信」を得る事だ出来ない事からか、「素描空間に関する疑問」をモチーフとして作業しているようにも思える。

これは線による空間の整理に少し手応えを感じ始めた時のもの。

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このような「線」の扱いは「日本画的」と呼ばれる事がある。鉛筆の持っている可能性=深さ方向への表現力を制限して「平面的」に扱うところから来ているのだと思われる。岩絵の具の「砂絵の具」のような感触=縦方向への表現力を持たない=横に広げていく材料の持っている空間と重なっていると考えると頷けるものがある。村上隆氏のコピーである「スーパーフラット」は氏が「日本画」出身である事と合わせて考えても良いのだろう。
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# by kobosss | 2008-07-21 00:05 | 素描思考 | Comments(0)
2008年 07月 20日

「テーブルの上で」記憶の庭 1982制作 B2

HP上のコメント
http://www6.ocn.ne.jp/~koboss/

「この作品の前に
ライトテーブルの上に砂鉄とかガラス板などを構成して
ライティングに工夫をして写真撮影をするという習作があります。

この頃はブレダン紙に6Bの鉛筆で描くことがほとんどだったのです。
紙としての物が表現を展開させていくことの可能性に気づくことが出来たのは、
鉛筆の紙に対する角度と滑らせていく方向とにこだわっていたからです。」

鉛筆と紙、そして線のみによる表現という単純化を経て質感、調子などを自分のものとしてあらためて捉え直すきっかけとなったものの一つ。

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「テーブルの上で」 B2
1982
紙に鉛筆



この頃しばしば鳥の登場する夢を見た。
鳥の様々な現れようを解釈することなく実現しようとすることが、
自分の絵画の持ちうる現実感への手がかりとなることを願っていた。
これは鳥とも爬虫類ともなんともつかない生き物のように見える。
流体力学には興味があったのだが
科学的なアプローチには自分はあっていないようだった。
レオナルドの世界に身近なものとして特別な興味をもつようになったのは最近の事。 紙の質感がなんとか解ってきた時期のもの。
紙の上に描かれるものは
むしろ紙にはぐくまれ生まれてくるようだ。 (2000)

以下四点1982~3年頃の作例
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素描をやり直す必要が出てきてハイビスカスをモチーフとして空間の取り扱いの試みをしている一連のものの中から。

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ハイビスカス素描 F6×4 
2006

鉛筆


素描空間への身の置き方には様々なタイプがあって、現在の自分が最も興味をもっているのはそういう「素描空間の在り様の検証」なのかもしれない。

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# by kobosss | 2008-07-20 17:11 | 素描思考 | Comments(0)
2008年 07月 19日

互いに 見るものと見られるもの

このままズームアップしてあちら側の人をカメラが抜けていく、というシーンを夢想

夢の中であったなら、ドッペンベルゲン的経験というのはよりリアルに可能であると思うけれど、覚醒している状態でのそれはこういう事に近いのではないか、と思い込むにはきっかけとなる実体験が前提としてあるのだけれど、それは現在は括弧付きの記憶としてあるのみ。

その経験は肉体感覚というよりは「脳内感覚」というようなものを伴っていて、それは判断基準のひとつとなる。そして、それは自分が絵画制作での確認作業で使用するものと殆ど同じである。

写真は、そのように意識して撮っても、多くの場合たんなる「図示」にしかならず、その感覚を引き起こす事にはならないが、撮り続けていると何かが起きる事もあるのではないか、と撮り続けている。

とはいえ、そのような「目的意識とは別」に様々な事が起き、そこで気付かされるものに自分は生かされているようで、そちらの方が大事なような気もする。

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NikonD3  
Carl Zeiss Distagon T*2.8/25 ZF

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# by kobosss | 2008-07-19 10:45 | 日常風景随想 | Comments(0)